🌺 ハチドリと森の庭 ― Anna Forest Garden
経営者:Tran Huu Qua氏(Krông Ana郡 Buôn Cuê村)

ハチドリの物語
大きな山火事が森を包みこんだとき、あらゆる生きものは恐怖に駆られ、我先にと逃げ去っていった。ただ一羽、小さなハチドリだけが、せわしく沢へと飛び、水をほんの一滴くちばしに含んでは、炎のもとへ運び続けていた。
「そんなことをして、何になるのだ?」
「わたしは、わたしにできることをしているだけです。」
そのひたむきな姿に、森はふと静まり返る。やがて動物たちは一匹、また一匹と戻り、炎はついに鎮まった。それは強大な力によってではなく、森でいちばん小さな命の、揺るぎない静かな意志によってであった。
この美しい物語に心を動かされたのが、Anna Forest Gardenの主、グエン・フー・クア氏である。「自分にできることをする」というハチドリの精神――小さくとも、絶え間なく。ゆっくりに見えても、確かに世界を変えていく一歩である。

「毎日、少しずつ減らす」という生き方
彼は、曾祖父とともに「最後の一枚の煉瓦まで」積み上げた家を案内してくれた。資材が尽きたところで、工事はそこで止めたという。足りないものを買い足すのではなく、「そこまで」を受け入れる。何ひとつ無駄にしない。ビールケースの殻も、古い鍵も、捨てられた道具も、新しい役目を与えられる。ミルクの箱は苗床になり、壊れたテレビは靴棚や鶏の産卵箱へと生まれ変わる。
「毎日、少しずつ減らしていく」
所有を減らし、外への依存を減らし、内なる精神を育てる。
森の庭という選択は、その覚悟の延長線上にある。物質への執着を手放す勇気のある者だけが、踏み出せる道だ。

多才なる森の教師
森でのサバイバル技術を教える教師でもある彼は、若者たちに「人と自然のつながり」を体で感じてもらうことを願っている。森での遠足や瞑想会を開き、自然だけが授けてくれる学びを分かち合う。教師であると同時に、木工職人であり、機械工であり、音楽家でもある。彼のいる場所には、いつも笑い声が満ちる。
「自分にできるかぎりを尽くし、すべての人に、そして自分自身にも幸福をもたらすこと。」
土からの目覚め
この庭はもともと両親が化学肥料で耕していた土地だった。彼も最初の二年間は同じ方法をとった。しかし、二十五年前の土の記憶が、彼の心を離れなかった。かつては、トウモロコシの種を蒔けば、六十日後には自然に実った。だが十五年の化学農法ののち、肥料なしでは育たず、年ごとに量を増やさねばならなくなった。
南米やインドの砂漠化した地域でも、同じ歴史が繰り返されてきた。森に入ると、彼は気づく。自然の森は、肥料などなくとも、豊かに息づいている。そこから彼は、自然に寄り添う森の庭へと舵を切った。二人の子どもの名を冠したこの庭を、彼はわが子のように育てる。
自然を理解し、敬うとき、自然は必要なものを与えてくれる。
足るを知る生態系
今や庭には数百種の植物が育ち、ウサギや鶏、アヒルが共に暮らす。季節ごとに恵みは巡り、家族の食卓を満たす。コーヒーの栽培と加工を主軸に、バナナやパパイヤ、サワーソップを干し、藁きのこを育てる。外から買うものは、ほとんどない。


「必要なのは、多くの知識ではありません。ただひとつ、”足るを知る”ことです。外の世界が不安に揺れるときも、ここでは果実が枝からこぼれ落ちています。」
庭には十数種類の茶葉があり、毎朝一つずつ味わうという。その多様さが、彼の内なる力を一日中支えている。
キリスト教から東洋思想へ
敬虔なカトリックの家庭に育った彼は、幼いころから精神的な教えに親しんできた。
「まず神の国とその義を求めなさい。そうすれば、他のものはすべて添えて与えられる。」
彼にとって神とは、教会の像だけではない。土であり、水であり、火であり、空気であり、木々であり、獣たちである。万物のうちに宿る聖性を敬うこと。さらに彼は、老子や孟子の思想にも共鳴する。
「順天者存、逆天者亡。」
天の理に従う者は生き、逆らう者は滅びる。自然の法則に身をゆだねることこそ、真の自由への道だ。
「人は皆、自由を求めています。そして私にとって、庭こそがいちばん自由を感じられる場所なのです。」
自由のひととき
コーヒーを干す庭先に座っていると、背後では鶏が戯れ、再利用のたらいでアヒルが水浴びをしている。静寂が満ち、時間の流れがゆるやかになる。人は、社会の中で居場所を得るために、必ずしも慌ただしく生きる必要はないのかもしれない。ただ、心が安らぐ場所があればよい。
Anna Forest Garden。そこでは今日も、小さなハチドリの精神が、静かに、しかし確かに、光を放っている。


