NICONICOYASAI FARM

NICONICOYASAI · Organic Farm
Đắk Lắk · 2026
NICONICOYASAI FARM
FARM STORY · 農場物語
信念の種を蒔く旅路
NICONICOYASAI FARM — 経営者:Nguyen Phuoc Thien氏

赤土の大地がどこまでも広がるバンメトート。その高原に、多くの人とは逆の道を選んだ一人の若き農夫がいる。安定という名の安心を手放し、慣れ親しんだ化学農法を退け、ただひたすらに、有機の種を蒔き続けてきた。

彼の名は、グエン・フック・ティエン。そして日本人の塩川実氏とともに、有機農業モデル「Niconicoyasai」を立ち上げた人物である。

その歩みは、資本や名声から始まったのではない。ただ、ひとつの素朴な問いから始まった。

農業は、生きるための手段なのか。それとも、いのちを守るための営みなのか。

ふるさとの田から芽生えた違和感

純粋な農家の家に生まれ育ったティエンにとって、幼少期の風景は常に田畑とともにあった。両親は別の郡で稲作に従事し、伝統的な農業観に従ってきた。収量を上げるには化学肥料と農薬が不可欠――それが当たり前だった。

しかし成長するにつれ、彼はその”当たり前”の裏側に目を向けるようになる。もともと丈夫だった身体が、農薬に触れるたびに重くなる。疲労は抜けず、だるさが残る。傷ついているのは作物だけではない。農民自身の健康も、静かに蝕まれていた。

生態系は崩れ、微生物は減り、害虫は薬剤への耐性を強める。目先の収量は増えても、土は痩せ、農産物の質も次第に落ちていく。その現実の中で、彼の胸に芽生えた願いはこうだった。

高品質でありながら、生産者の健康も守れる農業はできないだろうか。

太陽の国での転機

高校卒業後、ダナンで工業系短期大学に進学したものの、自らの進む道ではないと感じ、中退。転機は偶然のように訪れた。ダクラク省の有機農業研修センターが、日本研修生を募集するという案内を目にしたのだ。迷いはなかった。すぐに応募した。

2010年、彼は日本の埼玉へ渡り、有機農業に携わる農家たちと共に汗を流した。ブロッコリー、トマト、青ねぎ、レタス、そして稲作。堆肥づくり、土壌改良、化学資材に頼らない持続可能な生態系の構築。さらに2023年には、「日本自然農業協会」の支援を受け、熊本、福岡、鹿児島、水俣などを訪問。自然農法の実践現場を体験し、農業の基盤とは何かをあらためて学び直した。

そこにあった核心は、「土」にあった。

NICONICOYASAIの畑の全景
農業を支える三つの柱

物理性、生物性、化学性。この三つが調和してこそ、土は生き、作物もまた健やかに育つ。

しかし彼が日本で得た最大の学びは、技術以上に哲学だった。

人間の胃袋には限りがある。満たされれば、それ以上は食べられない。だからこそ、食を独占するのではなく、分かち合い、守り、未来へ手渡す責任がある。

その哲学は、彼の中に静かに根を張った。

NICONICOYASAI野菜パッケージ
裸一貫からの出発

帰国後、研修センターで後輩たちを指導する立場となった。しかし彼は気づく。理論だけでは、有機農業は根づかない。現場で成功する実例が必要だ。

2011年、ティエンは師であり友でもある塩川実氏とともに土地を借り、独立を決意する。それが「Niconicoyasai」の始まりだった。

しかし始まりは決して華やかではなかった。日本で学んだのは機械化農業。だが帰国後に待っていたのは、石のように硬い土と、資金のない現実。鍬を握り、手で土を起こす日々。人手も足りず、実績もない。市場では疑念の声が響く。「化学肥料を使わずに、どうやって育てるのか?」

努力と成果は比例しなかった。生活を支えられず、仲間は一人、また一人と去っていく。最後に残ったのは、ティエンと塩川氏の二人だけだった。幾度も心が折れかけた。だがそのたびに、自らへ問いかける。

なぜ始めたのか。なぜ有機なのか。この先に何があるのか。問いこそが、彼を支える支柱となった。

支え合いから広がる未来

転機は、ホーチミン市在住の日本人コミュニティから訪れた。有機農業の価値を理解する人々が、適正な価格で購入してくれた。その支えによって、Niconicoyasaiは存続の危機を乗り越えた。

現在はクロンボン郡、さらにモックチャウ(ソンラ省)へと拡大。日本のJAS基準に基づき、有機転換を志す農家への技術支援と買い取りを行っている。

そして2019年、長年の積み重ねの末、彼は初めて自らの土地「Eana Farm」を手に入れた。この農園は、日本の「日本自然農業協会」や、有機農業の未来を願う人々の支援を受け、森のような多様性を育む”フォレストガーデン型農業”へと進化している。Eana Farmは、単なる農場ではない。志を同じくする人々が出会い、つながる場でもある。

スタッフと収穫した有機野菜
経済的利益か、社会的価値か

化学農業は、初期は便利で低コスト、高収量。だが次第に肥料や農薬への依存が増し、土は疲弊し、害虫は増え、収量は落ちる。

有機農業は、最初は忍耐を要する。一年以上かけて土を再生する必要がある。しかし時間とともに土は豊かさを取り戻し、生態系は調和し、作物は強く育つ。価格も通常の2〜3倍で取引されることが多い。

ティエンは笑いながら言う。最初から富を求めたことはない、と。だがそれは、収入が少ないという意味ではない。適切に収支を管理すれば、関わる人々は安定して暮らせる。そして何より、食料不足を心配する必要のない生活を築けるのだ。

自然農法の堆肥・藁
種を蒔く人の哲学

両親は何度も彼を止めた。安定した公務員の道を望んだからだ。しかし彼は畑を選んだ。険しくとも、自らの信じる道を。

大学を中退した青年は、やがて裸一貫から土を耕し、人と大地への信頼を取り戻すモデルを築き上げた。

「人ができることは、自分にもできる。人がまだできていないことも、努力すれば必ずできる。」

人は皆、楽に生きたいと願う。だが彼にとっての喜びは、享受ではなく創造にある。未来へ善きものを残すこと――それこそが本当の幸福だという。

「難しいようで易しく、易しいようで難しい。」

それが、有機農業を志す若者への彼の言葉である。技術は学べる。だが続ける力こそが試される。

彼にとって、農業は単なる生計手段ではない。農業とは、土のいのちを守り、人のいのちを育み、まだ見ぬいのちへと未来を手渡す営みなのである。

NICONICOYASAI Farmの農道とビニールハウス
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