ズンという人物を語るのに、これほどふさわしい言葉はない。それは「情熱」である。彼の言葉も、行動も、すべては一粒のコーヒー豆への情熱から始まり、その情熱によって、長い年月をかけて揺るぎなく貫かれてきた。
祖父母の代から両親に至るまで、家族が代々コーヒー農家だったズンにとって、コーヒーの木は幼少期の記憶そのものだ。おそらくその”縁”が、都会で学んだ一人のインテリ青年を、再び故郷へと導いたのだろう。ただし彼が選んだのは、先代と同じ道ではなく、誰もが躊躇するような、彼自身だけの道だった。
いわゆる「書生肌」のズンは、まさに本の虫だ。初めて彼に会った人は、まるで「歩くコーヒー教科書」と話しているような感覚を覚える。コーヒーの話題になると、彼は止まらない。長年積み重ねてきた知識を、すべて伝え切らなければならないかのように、丁寧に語り続ける。
ズンは、家族が安値でコーヒー豆を売り続けていた時代を知っている。「コーヒーの値段がナスより安かった頃だ」と、彼は冗談交じりに何度も口にする。価格に一喜一憂し、喜びと落胆を繰り返すコーヒー農家の現実を、彼は幼い頃から肌で感じてきた。だからこそ当初、彼は家業を継ぐつもりはなかった。ホーチミン市へ出て学び、別の道を選んだのである。
しかし「縁」は簡単には切れない。ホーチミン市で偶然口にしたエチオピア産コーヒー――アラビカ種発祥の地。その一杯が、彼の中に眠っていた何かを目覚めさせた。当時、25万ドンでわずか100gしか買えなかったエチオピアの豆。2014年なら、同じ金額でベトナム産コーヒーを2.5kgも買えた。その価格差が、彼の心に問いを投げかけた。
「なぜ、自分たちのコーヒーは、正当な価値で評価されないのか?」
大学卒業後、ズンは日本企業に就職し、2年間日本で研修・勤務する機会を得た。そこで彼が目にしたのは、日本の高度でクリーンな農業技術だった。この経験が、彼に”持続可能な農業”という確かな夢を芽生えさせる。高品質なクリーンコーヒーを、自らの手でつくるという夢である。
独学でコーヒーを学び続けた後、彼は専門家を訪ね歩き、やがてSHIN CoffeeのCEO、グエン・フー・ロン氏と出会う。日本で培った仕事哲学を背景に、スペシャルティコーヒー事業を立ち上げていたロン氏は、ズンに大きな刺激と指針を与えた。「自分だけの一粒」を探す旅は、ここから本格的に始まった。
その後、ズンは抽出、焙煎、加工とあらゆる工程を学び、試行錯誤を重ねる。現在ではQ Robustaグレーダー資格をはじめ、焙煎・バリスタの認定を持つ専門家だ。彼は農園から一杯のコーヒーに至るまでの全工程を自ら管理し、どんなに小さな工程でも妥協を許さない。
ダクラク省にあるiForest農園を訪れると、一本一本の枝、一本の草にまで心を配る彼の姿が目に入る。彼は忙しく園内を歩き回りながら、現在挑戦している「アグロフォレストリー農法」を熱心に語る。
奇跡のリンゴで知られる木村秋則氏の経験から学び、ズンは一気に転換することを選ばなかった。5年計画で少しずつ化学肥料を減らし、土壌の回復と生産性の両立を図ったのだ。特に最初の3年間が最も困難であることを理解し、農園を分けて実証を重ねた。完全有機区画では化学肥料や農薬を一切使わず、他の区画では段階的に削減していく。
彼の目標は、アグロフォレストリー化後も従来比80%の収量を維持すること。収量は多少減っても、環境を守り、農家の生活を持続させる最高品質の豆を生み出せると信じている。バナナや草類、果樹や工芸作物を混植し、土壌を再生しながら一年を通して収穫できる仕組みを作り上げた。3月は胡椒、6〜7月はドリアン・マカデミア、11〜12月はコーヒーと、季節ごとに恵みが届く。
良い土と森林農業の生態系が理想のコーヒー農園を実現し、木が健康な根と葉を育て、引き締まった実・高い糖度をもたらし、最高のコーヒー体験を届けてくれると信じています。
心身ともに限界に達し、1か月入院したこともある。進むべきか、諦めるべきか――幾夜も眠れぬ夜を過ごした。それでも、情熱の火は消えなかった。諦めたときの後悔の方が、はるかに大きいと知っていたからだ。家族の愛、志を同じくする仲間、そしてクリーン農業への揺るぎない信念。それが彼の支えだった。
やがて成果は形となり、家族も彼の道を理解し応援するようになる。ニャチャンには「Farm to cup」を体現するカフェも開き、現在ではトルコ、ドイツ、ハンガリー、日本へとコーヒーが届いている。
「急いで起業しないこと。準備と道筋が何より大切だ」
「仕事に尽くすことは、人生の幸福に尽くすこと。ただ、夜ぐっすり眠れる仕事をしているだけです。」